研究活動|名古屋大学グローバルCOEプログラム|テクスト布置の解釈学的研究と教育

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研究活動

研究員ブリーフィング

第32回ブリーフィング

2011年6月29日に第32回グローバルCOE研究員ブリーフィングが
名古屋大学文学研究科グローバルCOEオフィス(名古屋国際センター)にて開かれた。

内田 智秀 研究員
『「叡智と運命」から見る「青い鳥」の幸福について』

[2011年6月29日第32回ブリーフィング報告要旨]

<内田 発表レジュメ>
 『青い鳥』(1908年初演)の創作前から、モーリス・メーテルランクは『叡知と運命』(1898年)の中で幸福について論じていた。劇作家にとって幸福とは私たちの心の中で起る現象であり、さらに劇作家は私たちに襲いかかる不運とは心の一時の病のようなもので、必ずそこから立ち直ることができると考えている。そのため劇作家は知性よりも道徳を重んじ、そしていかなる運命が私たちに襲ってきても、幸福になろうとする希望を持つことが大切だと考えている。構想手帳の『青い鳥』の執筆順序の分析から『叡知と運命』の実践の場として『青い鳥』を位置づけることが可能である。ただし、それでは主人公チルチルは叡知を得るだけで、彼の身の回りは何一つ変化していないことになる。
 もちろん構想段階における最終景の筋書きでも、初版や最終版と同じで目立った違いはない。しかしチルチルと病から回復した娘とが抱擁する場面で、メーテルランクは霊感を受けたかのように、突然未来の挿話を書き始め、チルチルの息子を登場させる。これだけを記し劇作家はすぐに抱擁の構想に戻るが、チルチルと娘との抱擁と彼の息子の登場とが連続して書かれている点は、紙上では特別な意味を持つと思われる。同じ頁に記された現在と未来の出来事は、恋愛と幸福という予想だにしなかった二つの主題を結びつける。もちろん彼の息子の登場の構想は削除されたが、チルチルと娘との間に芽生えた愛は、初版や最終版ではほのかな予感として沈黙の裡に含んでいると思われる。それはメーテルランクの演劇において、沈黙が時に愛の芽生えや愛の深さを意味することがあるからだ。そのため物語の最後、チルチルの台詞「私たち」は、これまで解釈されてきたような人類や人間を指すのではなく、チルチルと娘を指していると解釈できる。この物語は叡知を集めるだけの物語ではない。いずれ芽生える娘との愛はまさしくチルチルが現実世界でつかんだ幸福といえるだろう。

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