研究活動|名古屋大学グローバルCOEプログラム|テクスト布置の解釈学的研究と教育

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研究活動

研究員ブリーフィング

第4回ブリーフィング

2008年2月29日に第4回グローバルCOE研究員ブリーフィングが
名古屋大学文学研究科グローバルCOEオフィス(名古屋国際センター)にて開かれた。

小澤 実 研究員
『政治的表徴としてのルーン石碑』

谷部 真吾 研究員
『高度経済成長期における祭りの変化
----遠州・森の祭りの終戦後~1974年を事例として----』

[2008年2月29日第4回ブリーフィング報告要旨]

<小澤発表レジュメ>
 本発表の目的は、ルーン石碑と呼ばれる、紀元千年前後のスカンディナヴィア世界に特有の死者記念碑の有する機能と、当該時代の政治史とリンクさせるための方法論の模索にある。19世紀に確立したルーンの研究は、当初言語学者や文献学者が主流であったこともあり、様々な支持体に刻まれるルーン・テクストの研究の限局されていた。しかしながら歴史家B. Sawyerは、1985年の論文以来、従来のようなテクスト研究にとどまることなく「モノ」としてのルーン石碑に注目し、なぜルーン石碑が建立されたのかというコンテクストに関わる問いを立てた。彼女の結論は、ルーン石碑は、その石碑を建立させた生者の土地所有権を共同体に向けて主張する機能をもつということであった。
 これに対し発表者は、紀元千年前後のスカンディナヴィア諸国は、外部に対してはヴァイキング活動による展開期であると同時に、内部においては国家形成期であるという流動性の高い社会であったというコンテクストを考慮するならば、ルーン石碑にはSawyerが主張する以外の機能も見られると考える。つまり、対抗する在地有力者間の一種の存在証明である。ルーン石碑一基を作成するのにはかなりの人材と資金が必要であり、さらに各ルーン石碑の間には、それを視認する者を意識したかなりの相違点が確認される。資金を持つものは他の石碑よりも視認者に訴えかける石碑を作成することが可能である。発表者は具体的分析の領域として、1.テクストの差異化、2.石碑それ自体の差異化(字体、レイアウト、背景装飾、彩色、石塊の形状)、3.設置空間の差異化(自然空間、文化空間、モニュメント化)、という三点に分け、さらにそれぞれは4.社会コンテクストの変化、により石碑の持つ価値が変動するという見通しをつけた。今後は、以上のような分析示準を各石碑に適用し、個別具体的な調査を進めることを課題としている。

<谷部発表レジュメ>
 本発表では、静岡県周智郡森町で行なわれる「森の祭り」の第2次大戦後から1974年(昭和49)までを事例として取り上げた。この当時の森の祭りは、「森の『けんか』祭り」とも呼ばれ、参加者同士のけんかや屋台引き回し違反などの絶えない、非常に荒々しい祭りであったとされている。そのため1947年(昭和22)には、警察から森の祭りに対して、「今までの祭典は完全に徒党を組したる喧嘩たるに付 マッカーサー司令部指令に反する事明かなるに付 許可し得ず」という通達が出された。こうした森の祭りに対するネガティヴな評価は、1940年代後半から1950年代にかけて行政や学校などからも出され、その結果、この祭りは暴力的・不法的・非教育的であり、改められるべき祭りとして位置づけられてしまった。このような外部機関からの圧力は、日本が高度経済成長に突入するころになると、さらに強まっていく。そのため森の祭り側は、当時の運営組織を中心に祭りをより穏やかものにしようとさまざまな対策を講じたが、その効果はほとんど上がらなかった。そうしたなか、不幸にして、1969年(昭和44)には警察官殴打事件が、1973年には2件の死亡事故が起きてしまう。事態を重く見た一部の関係者たちは、改革委員会を立ち上げ、森の祭りの改革に乗り出した。当初、改革は困難を極めたものの、彼らの努力は最終的に実を結び、1974年に森の祭りは「けんか」祭りからの脱却を果たすこととなった。
本発表では、以上のような森の祭りの変容プロセスを詳細に報告した上で、この祭りの変化がその非日常性にどのような影響をおよぼしたのか、さらには、こうした変化を成立せしめた当時の社会的風潮とはいかなるものであったのか、について考察した。

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