研究活動|名古屋大学グローバルCOEプログラム|テクスト布置の解釈学的研究と教育

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研究活動

研究員ブリーフィング

第8回ブリーフィング

2008年7月30日に第8回グローバルCOE研究員ブリーフィングが
名古屋大学文学研究科グローバルCOEオフィス(名古屋国際センター)にて開かれた。

谷部 真吾 研究員
『祭りの統合機能に関する覚書
--遠州「森の祭り」の戦中期を事例として--』

小澤 実 研究員
『ハーラル青歯王によるイェリング・モニュメントの形成
--そのテクストとコンテクスト--』

[2008年7月30日第8回ブリーフィング報告要旨]

<谷部発表レジュメ>
 1998年に九州大学で開かれた第6回「宗教と社会」学会において、「都市祭礼研究の課題と可能性」と題されたワークショップが行われた。このワークショップの中で問題設定を行った竹沢尚一郎によると、祭礼研究は過去の呪縛を引きずっており、その1つは祭礼の集団的沸騰が成員に共同性をもたらすというデュルケムの宗教社会学であるという(竹沢尚一郎1999「問題設定」『宗教と社会』別冊pp.81-82)。確かに、竹沢が指摘する通り、これまでの日本の祭り研究を概観してみると、参加者たちの葛藤や対抗関係の背後に共同性を認めている論考の多いことに気づかされる。こうした状況からすると、祭りの中で見ることのできる葛藤や対抗関係は表面的なものに過ぎず、最後には社会統合がもらされると考えられてきたといってよいだろう。しかし、本当に、そうした予定調和的な理解でよいのだろうか。
本発表では、以上のような問題意識から、静岡県周智郡森町にて行なわれる「森の祭り」において、1939~40年(昭和14~15)に起こった騒動を事例として取り上げ、祭りにおける社会統合機能について考察を行った。この騒動は、1939年の祭りの最中に生じた「紛擾」をきっかけとして、翌年の祭り運営に支障をきたすほどの深刻な対立を参加町内間に引き起こすまでに発展した。このため、危うく森の祭りは分裂しかけたが、最終的に、ときの警察署長や森町町長などの仲介によって事態は収拾し、例年通りの祭りが行われたのであった。参加町内による、こうした激しい対立は、デュルケム的な見解からすると本来起こりえないもののように思われる。にもかかわらず、なぜ森の祭りでは、そうした対立が発生してしまったのであろうか。今回のブリーフィングでは、この問いへの答えを探ることで、デュルケム理論への問題提起を試みた。

<小澤発表レジュメ>
 本発表は、ハーラル青歯王(d.987)によるイェリング・モニュメントの形成プロセスとその社会的機能を、そこに見られるルーンテクストとそのコンテクストに注目することによる解明を目的としている。発表者は昨年の論文で、(1)テクストの差異化、(2)石碑それ自体の差異化、(3)設置空間の差異化、(4)社会コンテクストの変化という四つのフェーズに分割して、ルーン石碑を分析することを提唱した。今回はイェリングにある、ゴームによる小石碑とハーラルによる大石碑の二つの石碑を中核とするモニュメントにこの手法を適用した。モニュメントは、二つのルーン石碑に加えて、北墳、教会、南墳から構成されている。考古学者E・ロエスダールは、このモニュメントをハーラルによる、多神教からキリスト教への移行過程を示すものとして評価するが、以上の手法を適用すると、さらに興味深い事実もわかる。それはつまり、ゴームとハーラルという二人の「王」が建立した石碑の圧倒的な差であり、それはおそらく両者がもっていた権力の差の反映であった。ゴームからハーラルへと王権が継承される間には、現在理解されている以上に大きな溝があったことが予想される。他方でハーラルは、自身の功績と権威を、他のデンマーク在地有力者に誇示することに熱心であった王であった。それはハーラルが建立した石碑において、顕彰碑にもかかわらず父と母をたたえるのではなく、自身の功績に言及していることからもわかる。そのような観点に立つならば、イェリング・モニュメントは、観者を意識した、極めてメッセージ性の強いモニュメントであることがわかる。その背後には、第二次ヴァイキング時代の開始やデンマーク王権の中心地の東漸によるデンマーク社会の社会的流動性の高まりがあるようにも思われる。

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