教育|名古屋大学グローバルCOEプログラム|テクスト布置の解釈学的研究と教育

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教育プログラム

テクスト布置解釈学

第4回「テクスト布置解釈学原論」授業

2007年10月24日に第4回「テクスト布置解釈学原論」の授業が行われました。

担当:名古屋大学大学院経済学研究科 長尾 伸一 教授(経済学史) 

<授業要約>

「思想史研究とマニュスクリプト-スコットランド哲学研究をもとにして」  

経済学研究科 長尾伸一

本講義では18世紀スコットランドの哲学者トマス・リードを取り上げ、コンテクスト主義や言語行為論の観点を踏まえて、18世紀のマニュスクリプトを言説として考察した。
 いまだ高価で,多くの「学術的」な著作は予約購読の形で流通したとはいえ,書物はもっとも広い受け手に向かって発信された公的言説だった.それに加えて大学での講義もまた,教師の見解を伝える一種の「出版」と見ることができる.講義を聴いたり講義ノートを読むことは,高等教育を受けることができた少数の人々の特権だった.リードの「ユートピア論文」のような手書き原稿は,さらに限定された受け手に対して著者の思想や意見を伝達する手段だった.科学者集団が普遍的に制度化されるのは次の世紀であり,この時代でも科学者たちはいまだに「学術的書簡」によって意見交換を続けていた.書簡はまた社会的,政治的に問題のある学問的主題を仲間内だけで論じるための安全な方法であり,数学者たちでさえそのような危惧を持つことがあった.
特権的な少数者のために製作され,流通したとはいえ,以下のような理由で,これらはすべて「公的言説」とみなすことができる.それらの言説が発話され,書かれ,伝達された空間は親族や友人たちで構成される「親密圏」ではなかった.これらの言説がその内部に存在した空間を構成する団体やネットワークへの参加者たちは,文芸や科学研究や政策形成のような,何か重要な,何か社会にとって有益な,言い換えれば何か「公的」な活動に自分たちがかかわっていると考えていた.その空間の中では彼らは私人ではなく,一種の「公人」として振舞っていたのである.
このように18世紀のマニュスクリプトを言説として研究することは,それらの資料の内容だけでなく,同じ著者による印刷物の性質にも光を当てることになる.以上の議論は18世紀の言説の多様性を明らかにするので,当然「書物とは何か」,あるいは「書物」を書くという行為の意味と意図とは何かということが次に問われるからである.テクストは自らの創造者の期待や戦略とは関係なく,それ自身の物語を語り出していく.しかしそれはまた言語行為の産物でもある.何かを「書く」という行為の最初には,それを始動させる誰かの欲望がある.要するに,「古典」と呼ばれる膨大な紙片の集積の背後には人間存在が立っている.18世紀のテクストを言説としてとらえることは,テクスト性とともにコンテクストも無視できないことを想起させる.そしてこの両者の結びつきの探求は,歴史学と思想史と批評理論の思いがけない出会いを準備する.政治言説史の方法に関するJ.G.A.ポーコックの表現[i]をパラフレーズするとすれば,それが可能なことこそが,18世紀ブリテンに代表される初期近代の西欧社会の一つの特徴を指し示しているのである.

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