研究活動|名古屋大学グローバルCOEプログラム|テクスト布置の解釈学的研究と教育

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研究活動

研究員ブリーフィング

第23回ブリーフィング

2010年5月26日に第23回グローバルCOE研究員ブリーフィングが
名古屋大学文学研究科グローバルCOEオフィス(名古屋国際センター)にて開かれた。

谷部 真吾 研究員
『高度経済成長期における祭りと社会                                                              -見付天神裸祭を事例として-』

[2010年5月26日第23回ブリーフィング報告要旨]

<谷部 発表レジュメ>
 本発表では、静岡県磐田市で行われる見付天神裸祭において、1960~61年(昭和35~36)に生じた変化を検討することによって以下の点について分析を行った。それは、第1に、地域社会の祭りにとって高度経済成長期とはいかなる時代であったのか、第2に、祭りの変化の方向性はどの程度社会環境によって影響されるのか、という2点である。
 1960年の裸祭では、祭りの規範に違反した家々に担い手らが押し掛け、表戸のガラスを割ったり、土足で上がりこんだりするという事件が発生した。それまで、こうした行為は、祭りの規範に違反した者に対する制裁として正当化されてきたものと思われる。しかし、今回の場合、それらの行為は暴力的であるとして、新聞で批判的に報道されてしまった。このようなこともあってか、裸祭は、結果的に翌年から祭りのありようを大きく変えることとなった。見付天神裸祭のように、それまで何ら問題視されることのなかった祭りの中の行為が、突然、新聞等で批判されるようになるというケースは、この時期、他の祭りでも見ることができる。そうした点からすると、高度経済成長期とは、祭りの暴力性を告発し、場合によっては、その改変を迫る時代であったといえるのではないかと思われる。だが、1961年の裸祭の変化は、こうした高度経済成長期特有の社会的圧力のみによってもたらされたわけではない。よくよく当時の状況を検討してみると、裸祭のありようを変えるにあたって、この祭り特有の事情(見物人の減少や後継者不足など)が勘案されていた可能性がうかがわれるのである。このことは、すなわち、祭りの変化は必ずしも社会環境からの要請のみによって生じるものではないということを示していよう。
 毎年繰り返される地域社会の祭りでは、多かれ少なかれ、何らかの出来事が生じている。しかし、ときとして、そうした出来事の中のあるものが、「事件」として注目されることがある。その際には、当該の「事件」が、いかなるものとして社会的に認識されたのかを分析することによって、その当時の社会的特徴を、ある程度、把握することができるように思われる。しかし、「事件」に向けられたまなざしが、祭りそのものにどれほどの影響を及ぼすのかに関しては、簡単に一般化することはできない。なぜならば、祭りの変化とは、社会環境からの影響と担い手たちの意向との、複雑な関係性の上に成立するものと考えられるからである。


 

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